ゴールデンウィークの休みを利用し、久しぶりの里帰りです。

私の故郷は鹿児島県の枕崎と云うところで、鹿児島の最南端に位置しております。

特産品でいえば、やっぱり鰹節が有名で、あとは、芋焼酎のさつま白波や枕崎さつま揚げ、枕崎ぶえん鰹、枕崎茶、枕崎牛、鹿籠豚などなど、他にも沢山あるのですが、挙げればきりがないかもしれません。f^_^;

 

トップの写真は、なぎさ温泉から拝借したものですが、私は枕崎に帰ってくる度に、何回もこちらの温泉に浸かっては、まったり〜ƪ(˘⌣˘)ʃとさせて貰っております。

この温泉のある場所は岩戸山というところで、正に、天照大御神が岩戸隠れをなされた場所ではないかと勝手に思い込みながら、湯舟の中で瞑想に浸っております。

天岩戸神話は全国に数多く残されておりますが、中々こちらも波動が高くて、もしかしたら、もしかして、と思ってしまいます。

実は、ここ枕崎は「記・紀」の中にも登場してくる場所でありまして、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫にあたる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨したのちに、阿多の笠沙國(枕崎市のとなり、南さつま市)の國首(阿多隼人族首長)・大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘・木花咲耶姫(このはなさくやひめ)をお妃に迎え、そして、生まれたのが海幸彦=火照命(ほてりのみこと)と山幸彦=火遠理命(ほおりのみこと)でした。

「記・紀」では、山幸彦が兄の海幸彦の釣り針をなくしてしまい、それを探しに無目籠(まなしかたま)に乗って、錦江湾を南に下っていき、そして、辿り着いた海岸が景勝の地、枕崎と記されております。

因みに、童話、浦島太郎は海彦・山彦の物語を元にして作ったもので、浦島太郎が山幸彦で、竜宮城の乙姫が豊玉姫です。

明治の初め頃までは枕崎の地を鹿篭と呼んでおり、名前の由来は、一説では山幸彦が乗ってきた「目の無い籠」からきていると言われています。

それと、あと私が興味深く感じていることがあり、それは、山幸彦の日本書紀での名が彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と呼ばれていて、籠神社の御祭神が今では彦火明命(ひこほあかりのみこと)なのですが、700年以上前までは、彦火火出見尊だったのです。

という事は、彦火火出見尊は彦火明命であり、同一神ということになります。

つまり、山幸彦は籠神社の御祭神、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あめほあかりくしたまにぎはやひのみこと)/ニギハヤヒだったのです。(西暦紀元前660年2月11日に神武天皇が即位される前に大和の国を治めていたのがニギハヤヒです。)

ならば、枕崎の旧地名の鹿篭の由来は、やはり、籠神社からきているのではないのか⁈はたまた、籠神社の名前が鹿篭の地名からきているのではないのか、、、⁉︎と考えてしまいます。

仮にそうであれば、ここにはユダヤとの繋がりも関係し、当然、日ユ同祖論の話まで行き着くのかもしれません。

私は、月に何度か神奈川県伊勢原市にある大山へ登るのですが、こちらに阿夫利神社と云う神社があり、こちらの御祭神が大山祗神で、そして、富士山浅間大社の御祭神が木花咲耶姫であります。

富士山の御神体となられた理由は諸説ありますが、全国の山々を統括するお父さんが、火を放った産屋の中で出産された娘を「火の神」とされ、日本一の秀峰であった火の山(富士山)を娘に譲られたという話があります。

なので、大山と富士山は父と娘の親子関係であり、よく〝大山に登らば富士山に登れ、富士山に登らば大山に登れ〟と言われています。

因みに、大山祇神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)と同一神と言われており、阿多の地から出雲へと上り、それからどんどんと東征いくことになるのです。

また、木花咲耶姫は日本最古の物語であるかぐや姫(竹取物語)のモデルとなったお姫様であり、瀬織津姫と同一神との説もあります。

正しく、火の神「木花咲耶姫」、水の神「瀬織津姫」で、陰陽統合の火水(かみ)なのです。

木花咲耶姫には磐長姫(いわながひめ)というお姉さんも居ました。

磐長姫を御祭神として祀ってある神社が、八ヶ岳連山の一つ権現岳の山頂にある桧峰神社であります。

こちらには、八雷神(やくさいかづちのかみ)という神様と一緒に祀られております。

瓊瓊杵尊と木花咲耶姫が笠沙の岬で出逢ってから、瓊瓊杵尊が求婚すると、大山祇神はとても喜び、木花咲耶姫とお姉さんの磐長姫を一緒に瓊瓊杵尊の嫁に差し出しました。

ところが、瓊瓊杵尊は、容姿が醜い磐長姫だけを送り返し、木花咲耶姫とだけ結婚をしました。

(一説には、あまりにも神々しくて見え辛かった、見にくかったとも言われています。)

大山祇神はそれを大層怒り、二人の娘を送ったのは、磐長姫を妻にすれば、天神の御子(瓊瓊杵尊)の命は岩のように永遠となり、木花咲耶姫を妻にすれば、木々の花が咲き繁栄する様にと誓約を立てたからであり、磐長姫を送り返したことで、「天孫とその御子の寿命は木の花のようにはかなく短くなるだろう」と大山祇神は告げたのでした。

この事があり、天孫である瓊瓊杵尊とその子孫である歴代天皇の寿命が、人間と同じ寿命まで短くなったと言われています。

それと、竹取物語の作者が弘法大師空海と言われており、この物語は古代日本を紐解く書物として解読がとても期待されております。

空海が近畿、四国を行脚したのも、封印された神々、そして、ユダヤが深く関係していると思われます。

空海の母親は物部阿刀氏であり、籠神社の宮司海部氏(海人)も物部氏である為、空海は籠神社ともとても縁があります。

(因みに、かごめ歌(籠目)を作ったのも空海と言われています。)

 

枕崎に国見山という山があるのですが、そこに真言宗のお寺があり、こちらに如意輪観音像がありました。

籠神社の海部氏の娘である厳子(いずこ)・後に、淳和天皇のお妃になり真名井御前と呼ばれた方がおり、この御前をモデルに彫られたのが、神呪寺(かんのうじ)の如意輪観音像であります。

女人禁制で高野山を開山した空海が、真名井御前との愛を貫いたところに、私は、人間としての空海に触れたような気がします。

 

空海が入定する一日前に、真名井御前は高野山に向かい如意輪真言を唱えながら息絶えます。

真名井御前の33歳の短い命、神呪寺のお堂建立に33日、そして、空海が如意輪観音像を彫り上げたのが33日でした。

何か意味のある数字なのかもしれませんね。

(因みに、フリーメーソンは33階層ですが、関係あるのかは???です。)

 

磐長姫の寿命の話で思い出したのですが、今から2200年前、秦の始皇帝の命を受け3000人の童男童女を引き連れて不老不死の薬草を探しに、この日本にやって来た徐福ですが、この火の神岩(火の神海岸にあり枕崎のシンボル的な岩です。別名:立神岩)にどことなく見えたりしませんか?

私はいつも火の神岩を見る度に、徐福のこの写真が頭に浮かんできてしまいます。

 

長々とお付き合い頂き有難うございました。

 

お友達のナツメグさんの唄を聴きながら、今日はこの辺で失礼します。

 

こちらは、ナツメグさんのサイトです!

 

最後に、よかったら枕崎のPR動画も見て下さい!

本当にありがとうございました。m(_ _)m